経験値、経験知。

今日参加してきたアメリカのトップ大学のビジネススクールの学生とうちの理系修士・博士課程の学生との交流会は、久々にいい意味で刺激された。

正直、いちばん楽しみだったのは、総長のプレゼンが聴けるということだったが、
期待どおり面白かった。特にQ&A。

どの質問も面白かったけれど、向こうの学生から、てっぱんの質問である、「教育の多様化を掲げておきながらなぜビジネススクールをつくらないのか。」に対する総長の答えがやっぱりぞくぞくきた。

帰国してから、自分が相当マイペースな性格になっていたりだとか、刺すように論理的に相手を攻める思考力と語学力が低下していたりだとか、昔と比べると、これでなんだかんだでいろいろと鈍化してしまってるなーと思っていたけれど、

文系でしかも学部生のおれが、どさくさに紛れてなにくわぬ顔で、理系修士・博士学生に交じり、Q&Aで総長に最初に質問するあたり、やっぱりどこかかわってる雰囲気は変わっていないことを実感して安心した笑。

あと、向こうの学生と名刺の渡し方についてちょっと議論できたの、けっこー新鮮でおもしろかった。


けれども、ひとつ気になったのは、典型的な日本人はなぜ英語がうまく話せないことを、彼らに対して、ごめん、とすぐ謝ってしまうのか。ということ。
かくいう私も、留学にいったばかりはこれつかっていたけど笑
しかし、いまもcrapだけれども、こういう形式だけはつかわなくなった。
すぐにその奥にひそんでいる深遠な要因に気がついたからだ。

閑話休題

それにしても、外国にいって、外国人に自分たちの母国語を話すのを暗黙の了解のごとく要求し、その外国人がその言語を話せないことで謝ってしまう状況をつくりあげた、英語ネイティブの世界の「支配」の仕方をつくりあげたことは、すさまじいことだとおもう。

なぜ、気になったかといえば、今読んでる本のうちのこの本が思い起こされたから。

大東亜共栄圏と日本語

大東亜共栄圏と日本語

この本では、日本軍が大東亜共栄圏をつくりあげる際の皇民化教育の柱となった日本語教育の広め方が、詳細なデータをもとに分析されている。
台湾、フィリピン、マラヤ、シンガポール等でそれぞれの国の事情にあわせて教育方法を考えたり、普及させるべき国の優先順位が明確化されていたり、日本語教育の評価が国によって意外に違いがあったりするなど、
これまで知らないことが多くあって、驚きがたくさんあった。

また、侵略をすすめる方法として、
日本が、皇民化教育の柱として日本語の普及を中核に置き、同等の教育制度を敷いたのに対し、

インドネシアを植民地化していたオランダは、自ら現地語を覚え、学校を3階級にわけて、貧しい現地人が自分たちと同等の言語を話すことを嫌ったあたり、それぞれ戦略が異なっていて興味深い。


日本は問題が起こるたびに、その都度修正を加えていっているが、それでいうなら、これまで歴史の中で英語圏の民族が一番侵略を繰り返してきたわけだから、
「善意で舗装する」のもうまくて当然か、とおもってしまった。


それで、本第の、本日の男の手料理笑。

これは、失敗だ。


英語も、まだまだ。振舞い方も、まだまだ。思考もまだまだ。料理もまだまだ。
けれども、すべては挑戦によって得られる経験によって磨かれるのである。

この2文だけみると、我ながらうまくまとまってるではないか笑。